日々のこと

謝罪とは本来、どうあるべきか「謝る」ことを考える

まりん
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昨今、企業や個人が「申し訳ございません」と頭を下げる姿をテレビなどで目にすることが 多いように思います。

また、SNS が個人の生活にしっかり根付いていることから、誹謗中傷なども多くみられるようになり、先日もフワちゃんの投稿が話題になったところです。

フワちゃんから本人に直接謝罪したことの報告と、この投稿を見て不快に思ったであろうことを詫びる 謝罪文が投稿されました。
一方やす子さんからもフワちゃんの謝罪を受け入れたことと、これ以上この問題について話題にすることをやめてほしいとの投稿もありました。
この件について謝罪がなされることは当然のことと思います。
また、多くの方がおっしゃっているように、「謝罪もしたことだし、これは2人の問題だから周りがいろいろ言うことではない」と私も思います。
ですから、これからお話しすることはフワちゃんとやす子さんのことではなくて、私自身が謝罪について考えていることです。

今度のことで謝罪について私もいろいろと考えました。
謝罪とは一体何なのでしょうか?

謝罪とは

「謝罪」については、一般的に「関係修復のための手段」 という説明がされがちです。 確かにそういうことだとは思いますが、これについて私は以前から違和感といいますか、不公平感を覚えています。

少し大げさな言い方ですが、謝罪には被害者と加害者が存在します。

「赦されること」は加害者にとって有益なことです。
「赦すこと」は被害者にとって必ずしも益のあることではありません。被害者は赦すことも関係を修復することも望んでいないかもしれないからです。

謝罪とは、通常、加害者が被害者に対して行うものです。
その謝罪の中身は加害者がどんな不祥事をしたかによって随分と変わってきます。

頭を下げて「すみません」と言うことで済む謝罪もありますが、それでは済まないケースも 多いものです。

よくあるのが、SNS で相手のことをおもしろおかしく中傷し、相手の心を傷つけ、更にその投稿が広がって多くの人の目に触れてしまったとします。
削除したとしても、完全に消えるわけではなく、今回のようにスクショしたものが拡散され るということも起こります。

ケースによっては謝罪だけでは済まず、被害者に慰謝料や損害賠償金を支払うことをはじめとして、何らかの償いをすることが必要になる場合もあります。
中には賠償金は払ったけれど、真摯な謝罪のことばや謝罪の態度が全くないこともあります。こうなると被害者の怒りは収まらないと思います。

謝罪は被害者の精神的な修復につながる

賠償金のことはさておき、それ以外で被害を与えた人にできることは何でしょうか。

SNSで被害を受けて、被害を受けた人が「苦しい、悲しい、こんなの嘘だ」とつぶやいたとします。このように怒りや憤りの感情を抱くこと自体が被害者にとって精神的な苦痛なのです。
加えて、このように誰もが目にするSNSなどで中傷された自分の状況をみじめに感じたかもしれませんし、プライドを傷つけられたかもしれません。
また、「なぜ自分がこんな目に遭わなければならなかったのか」という思いに苦しむかもしれません。

謝罪を受けて真相を知ることで、 被害者は訳も分からずに災難に巻き込まれて損害を被っているという、一方的に受ける混乱状態や無力感から抜け出して、こういう状況に至ることになったことへの理解ができるようになるのです。

トラブルに巻き込まれた人の生活は、 それ以降大きく変わってしまいます。
災難の記憶や負の感情に繰り返しさいなまれ、疲弊してしまいます。 心身ともにそのトラブルに否応なくくぎ付けになり、心をとらわれてしまうのです。

本来は自分が大切にしてきた日々の生活があったのに、 そのトラブルが心の中心に居座ってしまい、離れないのです。

加害者を赦すかどうかはともかく、謝罪を受け入れることは、被害者 が心に一定の区切りをつけて、 自分の生活を立て直すための重要なきっかけとなるのです。

謝罪の難しさ

重大なトラブルでは、被害者の損害を賠償金などのかたちだけでなく、精神的な損害の修復ができたときにはじめて、謝罪は成立つのだと思います。
そしてそのためには、謝罪は誠意あるもので、被害者に誠意を受け取ってもらえなければなりません。

よくよく考えると、実際、私たちが謝罪をするときには、相手に赦してもらって関係を修復したい、楽に なりたい、これで幕引きを図りたいといった利己的な考えがあったりしないでしょうか。
私のない心で素直に反省するとか、 真心をもって相手に向き合うといった本当の謝罪に求められる態度、つまり誠意のある謝罪は本当に難しいものだと思います。

最近は謝罪のコンサルタントが謝罪の指導をすると聞きます。果たしてマニュアル化した謝罪で相手に本当に伝わるのか疑問です。
不祥事を起こした企業や団体が、変な言い方ですが、「上手いな」と思えるくらい、よく準備された謝罪会見を目にします。コンサルタントの指導で謝罪の服装から頭の下げ方や受け答えまで練習しているというわけです。
それはただの演技に過ぎないのではないかと残念に思います。

「赦されること」は加害者にとって有益なことですが、一方、「赦すこと」は被害者にとって必ずしも益のあることではありません。

謝罪をするときには「相手は赦すことも関係を修復することも望んでいないかもしれない」という前提でな ければ真摯に謝ることはできないのではないでしょうか。

謝罪をするのは当然なこと。しかし、謝罪された方が「赦さない」と言ったらどうでしょう?「心が狭い」とか「あんなに謝っているのだから赦してあげたらいいじゃない」と周りから言われたりしてさらに傷ついたりするのです。
本当に赦せないのだけども仕方なく謝罪を受け入れている方もいるのだということを忘れてはいけません。

あちこちで形通りの謝罪の言葉が数多く飛び交い、謝罪という行為自体が重みを失っている日本の社会。今必要なのは、本当の謝罪をもう一度しっかり捉え直すことだと思います。

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まりん
まりん
会社員 2児のママ
家族構成:夫と男の子と女の子の双子の4人家族
趣味:読書 アウトドア活動 料理
2023年に一家で移住。 子育てや日常生活、お気に入りのものや暮らしの工夫などを紹介するライフスタイルブログです。日々の小さな喜びや発見を共有し、読者の皆さんと一緒に成長していけたらと思います。よろしくお願いいたします。
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