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ブギの女王・笠置シヅ子 〜 朝ドラ「ブギウギ」は私達に何を残してくれたのか

まりん
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戦後の混乱期に活躍した笠置シヅ子の生涯と功績、そしてその時代に人々に勇気と希望を与えた人として、NHK朝ドラ「ブギウギ」が話題となり、29日に最終回を迎えました。
ここでは、この作品の制作の裏側や主演の趣里さんの演技への評価、笠置シヅ子の生き様とその時代への影響、作品に込められたメッセージなどについて、詳しく紹介していきます。

1. ブギウギ制作の裏側

NHK朝ドラ『ブギウギ』が放送されている間、多くの視聴者が作品の魅力に引き込まれましたが、実際の制作はどのように進んでいたのでしょうか。
ここでは、『ブギウギ』の制作の裏側について探ってみたいと思います。

『ブギウギ』の制作には、多くのスタッフが関わっていました。
脚本家、演出家、プロデューサーなど、各々の役割を全うしながら作品を作り上げていきました。
彼らは日々、ストーリーの展開や撮影スケジュール、キャストの演技指導など、様々なことに取り組んでいました。この彼らの努力のおかげで、私たちは素晴らしいドラマを楽しむことができています。

スタッフの努力

ロケーションの選定

ドラマの舞台となるロケーションも、制作チームによって選定されます。たとえば、『ブギウギ』では、大阪と東京が舞台となっています。
しかし、主人公スズ子は香川県で生まれており、その香川県の美しい自然や風景が、物語の世界観をより一層引き立てていました。
ロケ地選びは時間と労力を要する作業であり、多くの場所を候補としてあげ、検討しています。その中から最適なロケーションを選び出すプロセスは、決して簡単なものではないでしょう。

キャストの演技指導

ドラマの魅力の一つは、キャストの素晴らしい演技です。『ブギウギ』でも、趣里さんをはじめとするキャスト陣の演技には定評があります。
彼らは演技のために日々努力を重ね、役に対する理解を深めています。
演出家やスタッフが、キャストに対して細やかなアドバイスやアイデアを提供し、より良い演技を引き出しています。

衣装やセットのデザイン

ドラマの世界観を作り上げるためには、衣装やセットのデザインも重要な要素です。『ブギウギ』でも、時代背景に合わせた衣装やセットが使用されています。
制作チームは繊細なディテールにもこだわり、物語の時代背景やキャラクターの個性を表現しています。

以上が、『ブギウギ』の制作の裏側についての一部です。普段、私たちはドラマを見るだけですが、その背後には多くの人々の努力と熱意があることを忘れずに、作品を楽しんでいきましょう。

2. 趣里さんの演技への賛辞

花田スズ子役を演じた趣里さんの演技は、多くの視聴者から賞賛されました。彼女は主人公の明るい笑顔や真っ直ぐな心を見事に表現し、天真爛漫な性格を魅力的に演じ切りました。

趣里さんは、幼少のころから歌うことが大好きで、実家の銭湯で客たちの前で歌を披露するシーンでは、その歌声に視聴者は心を打たれました。趣里さんの透明感のある歌声は、スズ子の純粋さや情熱を表現しており、視聴者に感動を与えました。

また、趣里さんは花田スズ子の成長や変化を見事に演じ分けています。
彼女が演じるスズ子は、銭湯の看板娘から演劇団のスターになるまでの道のりで成長し、戦争や家族の喪失といった困難な状況に直面します。
趣里さんは、スズ子の内面の葛藤や感情を繊細に表現し、視聴者に深い感銘を与えました。

さらに、趣里さんの演技はデビュー当時から非常に評価されており、彼女の才能と努力が光ります。彼女はスズ子役を演じた石川萌々花さんと共に、スズ子の幼少期を可愛らしく演じ、視聴者の心をとらえました。

趣里さんの演技は、彼女の演技力と共に、彼女が役に対して真剣に向き合い、役柄に感情を込めていたことが伝わってきます。彼女の存在感と魅力的な演技は、作品全体を引き立て、視聴者に感動と共感を与えました。趣里さんの演技への賛辞は尽きることがありません。

3. 笠置シヅ子の生涯と功績

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笠置シヅ子は、戦前戦後の芸能界で活躍し、実力だけで生き抜いた女性として知られています。
彼女は吉本せいという吉本興業創業者の息子吉本穎右と後に結婚まで考える仲となりましたが、穎右は病気で亡くなりました。
穎右との間に女の子がひとり生まれ、穎右の忘れ形見を大切に、仕事にも力を入れ、芸能界での成功によって「ブギの女王」と評されました。

笠置シヅ子は、NHKのドラマ「ブギウギ」で描かれたように、戦後の時代に苦労しながらも、自身の持ち歌「東京ブギウギ」や「買物ブギー」などのヒット曲を生み出しました。彼女の独特の歌声やスタイルは、多くの人々に愛されました。

彼女の人生は決して平坦なものではありませんでした。戦後の時代背景や彼女自身の苦難にもかかわらず、彼女は強い意志を持ち、逆境に立ち向かいました。彼女の人生にはドラマチックなエピソードが数多くあります。

また、彼女の功績は単なる歌手としての成功だけに留まりません。彼女は女性としての地位向上や表現の自由を訴え、女性アーティストたちに道を開いた存在でもありました。彼女の芸術への情熱や強い信念は、多くの人々に影響を与えました。

笠置シヅ子の生涯と功績は、日本の歌謡史において欠くことのできない存在です。
彼女の努力と才能に敬意を表し、彼女の人生を多くの人が讃えています。
彼女の音楽は多くの人々に勇気と希望を与え続けています。

そのような背景を踏まえながら、NHKの朝ドラ「ブギウギ」が笠置シヅ子の生涯と功績を描くことは、彼女の偉業を称える上で非常に意義深いものです。

4. 戦後の心の支えとなった笠置

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戦後の日本は困難な状況が広がり、多くの人々が閉塞感を抱えていました。
しかし、笠置シヅ子の存在は人々に勇気と元気を与えることになりました。

笠置がもたらした勇気と元気

戦後の日本では、笠置シヅ子を含む多くのアーティストが人々の心を元気づける存在となりました。
笠置のブギウギは、南原繁の総長演説が国民を勇気づけたように、人々に勇気と元気を与えました。南原は笠置と同郷で実父の友人でした。同郷人として笠置を応援し、支えていたといいます。
戦後の閉塞感や困難な状況の中で、笠置の笑顔や元気なパフォーマンスは人々に希望と勇気を与えました。

笠置の社会的な視点と想像力

笠置シヅ子の魅力の一つは、自分の立場を理解し、社会的な視点と想像力を持っていたことです。彼女は自分が成功する一方で、夜の街で働く女性や戦争孤児など、社会の厳しい現実を理解していました。また、シングルマザーとしても家事や子育てに取り組み、自己の立場をよく理解して行動していました。

笠置と南原の交流

笠置シヅ子と南原繁の交流も、戦後の心の支えとなりました。
異なる世代であったにも関わらず、お互いを理解し合っていました。
南原が亡くなった際には、笠置はかなり落ち込んだといいます。お互いに心の支えとなり、生きる勇気を与え合っていたのでしょう。

戦後の日本は厳しい時代でしたが、笠置シヅ子の存在は多くの人々に勇気や元気を与えました。彼女の社会的な視点や想像力、そして南原との交流は、戦後の日本の心の支えとなりました。

5. 作品に込められたメッセージ

NHK朝ドラ『ブギウギ』には、深いメッセージが込められています。作品を通して伝えたいメッセージやテーマがしっかりと描かれており、その力強さが作品の魅力の一つとなっています。

以下では、『ブギウギ』に込められたメッセージについて探ってみたいと思います。

5.1 笠置シヅ子の生涯と功績の称賛

まず、『ブギウギ』は主人公・笠置シヅ子の生涯と功績を称賛するメッセージが込められています。笠置シヅ子は昭和時代に活躍したスターであり、その歌声と個性的な存在感で多くの人々を魅了しました。彼女の歌手としての道を切り開いた苦労や、戦後の時代背景の中での闘いが描かれています。

5.2 様々な愛の形の描写

『ブギウギ』では、様々な愛の形が描かれています。親子愛や姉弟愛、師弟愛、仲間愛など、男女間の恋愛だけでなく、人々が互いに支え合い、絆を築く様子が丁寧に描かれています。このような愛の形を通して、互いに助け合いながら人生を歩んでいく大切さが伝えられています。

5.3 時代背景と社会的な問題への問いかけ

『ブギウギ』は時代背景や社会的な問題にも切り込んでいます。昭和時代の苦労や戦後復興の様子、そして現代社会におけるエンターテイメントや芸術の意義についても考えさせられます。作品を通じて、「エンターテイメントは誰のためにあるのか」という問いかけがなされており、視聴者自身にも深い思考を促しています。

5.4 希望と再生へのメッセージ

『ブギウギ』は希望と再生へのメッセージも込められています。主人公のスズ子が苦難と戦いながらも自身の夢を追い求め、再び輝く場所に立つ姿は、絶望からの復活を象徴しています。このようなメッセージは視聴者に勇気や希望を与えるだけでなく、自身の人生においても立ち上がる力を持つことを思い起こさせてくれます。

『ブギウギ』はこれまでにないようなメッセージやテーマを描いた朝ドラとして注目されています。作品を通じて私たちに伝えられるメッセージは様々であり、それぞれに心に響く部分があることでしょう。ぜひ、この作品から受け取るべきメッセージを見つけ出し、自身の人生に活かしていって欲しいと思います。

6.「ブギウギ」最終回で回収されなかった伏線について

 歌手引退を決めたスズ子がさよならコンサートを開催、羽鳥善一のピアノで東京ブギウギ」を熱唱しました。
スズ子の故郷であるはな湯からは、「はな湯常連一同」で大きな花が届いていました。

 ドラマ前半、幼いスズ子が百日咳にかかり、はな湯で当時記憶喪失だったゴンベエさんが季節外れにもかかわらず、桃を手に入れてきたエピソードがありました。
一体その桃をどこから手に入れてきたのか明らかにされていませんでした。

ところが今度はアホのおっちゃんが、病気のツヤさんのために、やはり桃をどこからか入手。そこでもどこで手に入れたかは明らかになっていませんでした。
最終回でもそれは明らかにされないまま終わってしまいました。
この桃の入手方法とアホのおっちゃんの素性が謎のままだったのですが・・・。

実際、4歳の時、笠置シヅ子は百日咳に罹り大阪医大に入院したのですが、病状はどんどん悪くなり、病院からは匙を投げられてしまい、両親のみならず親戚一同が集まって、葬式の段取りまでしていたとか。

そんな中、シヅ子の養父音吉の店先にやせ衰えた老婆が現れ、空腹なので売り物の米をほしいと無心しました。音吉が訳を聞くと、ある家のご飯炊きをしていたところ火災に遭い暇を出されてしまったと言うのです。

これから長野の善光寺にいる遠い縁者を頼っていくところだということ、また四国・高松の生まれであることもわかりました。

かわいそうに思った音吉はこの老婆に食事を食べさせ、売り物の米も与えました。

音吉から娘が病で生死の境にいることを聞いた老婆は袋からお守りのようなものを取り出し、「この護符で病人の額を三度さすると治ります」と言ったといいます。

それは四国・琴平の金毘羅神社の御札でした。音吉は、半信半疑でその護符を笠置の額に当て老婆の言われた通りにすると、その晩からみるみる病状は回復していきました。両親や親戚も護符の奇跡に唖然とし、この護符を触っているうちに、護符の裏側に文字が書かれていることに気がつきました。

そこには「相生村 シヅ子」と書かれてあったため、皆驚きました。

シヅ子という名前には心当たりはないが、相生村とは笠置の生まれた村だったからです。どうして相生村の名前が書かれていたのか誰も知りませんでしたが、この護符に命を救われたと信じた両親は笠置の名前をミツエから志津子に変えたといわれています。そしてさらに後年静子と改名したのです。

この護符は笠置が大事にしていましたが、戦災によって失われたとのことです。

この老婆がドラマの中ではアホのおっちゃんとなり、護符が桃になったのではないかと私は思っています。

まとめ

『ブギウギ』は、単なる歴史ドラマではありません。
そこには、笠置シヅ子の生涯と功績を称える深い意味が込められています。
同時に、様々な愛の形を通して人々の絆を描き、時代の問題への示唆も与えています。そして何より、希望と再生のメッセージが力強く表現されていると言えるでしょう。視聴者一人ひとりが、作品から得られる深い洞察と教訓を見出し、自分の人生に活かすことができるはずです。『ブギウギ』は、単なる歴史的ドラマではなく、私たちの心に響く作品なのです。

ABOUT ME
まりん
まりん
会社員 2児のママ
家族構成:夫と男の子と女の子の双子の4人家族
趣味:読書 アウトドア活動 料理
2023年に一家で移住。 子育てや日常生活、お気に入りのものや暮らしの工夫などを紹介するライフスタイルブログです。日々の小さな喜びや発見を共有し、読者の皆さんと一緒に成長していけたらと思います。よろしくお願いいたします。
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